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https://hdl.handle.net/2115/34003 全国新幹線鉄道網の形成過程(角 一典 2001)ISSN:1346-0277 Vol.105 p.112
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34003/1/105_PL105-134.pdf#page=9
11 この時点で基本計画が決定された各路線で,複数ルートの競合が見られた。北海道は, 小樽・ニセコ経出のj七回りルートと苫小牧・室蘭経由の南限りルートが競合,東北は, 東北本線に並行して八戸を経由する東回りルートと奥羽本線と並行して花輪・弘前を経 由する商問りルートが競合,北陸は,高崎一長野間で較弁沢を経由する北回りルートと 佐 久 子 宮 を 経 由 す る 1有 国 り ル ー ト , 長 野 か ら 北 陸 に 抜 け る 区 間 で 糸 魚 川 を 経 由 す る ル ー ト
と北アルプスを貫通させるルート,敦賀 大阪照で琵替湖の東岸を経由するルートと西 岸を経由するルート,そして小浜を経 E討するルートが競合,九州、|は,八代一西鹿児島間 で鹿児島本線と並行する海岸ルートと八代と西鹿児島を直線的に結ぶ山間ルートが競 合,長崎では,筑肥線と並行する震津Jレートと佐賀・佐世保を経由するルートが競合し ていた。 1973.6.4付の毎日新誌の事前予測では,北海道は1有国りルート,東北は東出り 1レート,北陸は佐久・糸魚川・小浜を経由するルート,九列、Itま海岸ルート,長崎は佐賀・ 佐世保を経由するルートが有利とされている。
5線のうち,当初の予測では不利とされていた北海道新幹線の北回りルートについて は,街中派で小樽(1日北海道一区)を地重量としていた箕輪登の存在が影響しているとす る意見もある。佐藤/松崎 (1986),猪口/岩井(1987)では,箕輪は運輸族議員として 名前が挙がっている。ただし, 1973年時点と彼らが諸王ました時点とでは 10年ー以上もの年 月の笈があり,単純に,新幹線の誘致にあたって箕輪が運輸関連の政策に対して影響力 を発揮しえる位誼にいたとは言い難い。