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11 この時点で基本計画が決定された各路線で,複数ルートの競合が見られた。
北海道は,
小樽・ニセコ経由の北回りルートと
苫小牧・室蘭経由の南回りルートが競合,
東北は,
東北本線に並行して八戸を経由する東回りルートと
奥羽本線と並行して花輪・弘前を経由する西回りルートが競合,
北陸は,
高崎-長野間で軽井沢を経由する北回りルートと
佐久市を経由する南回りルート,
長野から北陸に抜ける区間で
糸魚川を経由するルートと
北アルプスを貫通させるルート,
敦賀-大阪間で
琵琶湖の東岸を経由するルートと
西岸を経由するルート,
そして
小浜を経由するルートが競合,
九州は,
八代ー西鹿児島間で鹿児島本線と並行する海岸ルートと
八代と西鹿児島を直線的に結ぶ山間ルートが競合,
長崎では,
筑肥線と並行する唐津ルートと
佐賀・佐世保を経由するルートが競合していた。
1973.6.4付の毎日新聞の事前予測では,
北海道は南回りルート,東北は東回りルート,北陸は佐久・糸魚川・小浜を経由するルート,九州は海岸ルート,長崎は佐賀・佐世保を経由するルートが有利とされている。
5線のうち,
当初の予測では不利とされていた北海道新幹線の北回りルートについては,
田中派で小樽(旧北海道一区)を地盤としていた箕輪登の存在が影響しているとする意見もある。
佐藤/松崎 (1986), 猪口/岩井 (1987) では,
箕輪は運輸族議員として名前が挙がっている。ただし,1973年時点と彼らが調査した時点とでは
10年以上もの年月の差があり,単純に,新幹線の誘致にあたって箕輪が運輸関連の政策に対して影響力を発揮しえる位置にいたとは言い難い。