https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/koya/news/202206/0015391683.shtml
沖縄県高校野球連盟の元理事長、安里嗣則さん(82)によると、長く6月中旬に開幕しているといい「日本に復帰する前からの名残がある」と経緯を話す。
夏の甲子園大会の場合、現在は2校ずつ出る東京と北海道以外は府県ごとに1校が出場する(記念大会を除く)。だが、かつては県予選を勝ち抜いても隣接県との地区大会を突破しなければ、甲子園にはたどり着けない「1地区1代表制」の地域が多かった。ちなみに、1915(大正4)年の第1回から単独で代表校を出しているのは兵庫だけだ。
沖縄も74(昭和49)年の第56回大会までは、宮崎代表らとの南九州大会などを勝たなければ、甲子園には出られなかった。
加えて、72年に日本復帰を果たすまでは入国手続きが必要で、時間を取られた。船、鉄道での長距離移動も強いられ、他県よりも日数が掛かることから、沖縄大会の開幕は早まったのだという。
本土復帰から半世紀が過ぎた現在、「国境」はなくなり、移動も飛行機が原則で、開幕を早める必要はなくなったといえる。安里さんは、台風による順延に備えるといった理由を挙げつつ「何より沖縄ではこの時期が定着している。遅くしようかという議論もなかった」と振り返る。