当たり前の話だが、ゲームボーイとNintendo 64は異なるプラットフォームである。
プラットフォームが異なるということは、ゲームボーイのプログラムを直接64に流用することはできず、ゲームボーイソフトのプログラムコードを元に64のプログラムコードを書く必要があった。
(同じゲームでもパソコン用ソフトをゲーム機に突っ込んでも動かないのと同じ理屈で、機械が変われば中身も変えないといけないのである)
このとき、
移植作業を行ったのは当時HAL研究所の社長で、任天堂とゲーフリの仲介役を務めていた岩田聡氏である。
なんと1週間と言う速さで基本的なバトルシステム(分かりやすく言えばタイプ相性やダメ計算の処理)の移植作業を行ってしまった。
しかも仕様書がなかったので、ポケモン本編のプログラムコードを読んで仕様を理解して、64のプログラムコードを書いたとか。
ポケモン本編のバトルシステムを作った森本茂樹氏は、自分が苦労して書いたコードを岩田氏があっさり理解して移植してしまったことに驚いたらしい。
それどころか、岩田氏はポケモン金銀の開発も技術的に支援しており、ポケモンの画像データを圧縮するプログラムを作って提供したらしい。
画像の容量が大幅に削減されたため、金銀はピカ版と同じ容量にも関わらずカントーとジョウトという2つの地方のマップデータを内包できたのだとか。
又係岩田